■私の声が相手に届かなくなり、今、携帯を修理に出している。SOFTBANKだ。私は本当によくクソな買物をするけれども、このソフトバンクほどクソな買物はなかった。しかも弱みは捨てられない事だ。キングオブクソ。2年過ぎたらぜったいに解約する。そのうえ今日は7時くらいからずっと圏外で、心底嫌気がさした。ここまでクソだと笑いもでる。クソ中のクソ。いくら書いても気が晴れることはない。
■腹立たしいついでに書くが、今の日本政府は国民を神経症にして人口増加に歯止めをかけようとしているのか。そうとしか思えない。そもそも人間は総体的に「決めごと」が苦手かもしれないが、私を基準にすると、もうそこはかとなく憎悪している、といってもいい。もう何度も書いただろうがまた書く。たとえば私の箸や茶碗やカップを専用にと決められることさえ嫌いなのだ。実家や友人宅で「これは遊の」とか言われると「やめてええー!」と頭がパニックになりそうになる。それでなくても、箸という2本でワンセットの存在さえも嫌悪感でいっぱいだ。複数の箸の中から、わざわざ同じ柄の箸を一本、また一本チョイスしてやっと箸、みたいな、心底げんなりする。狂いそうになる精神を克服するには、わざわざ、柄のちがう箸を選び食事をすることしかない。なのでたまにサイズや柄のちがう箸で食事をする。バカみたい。キチガイかも。でもそれが心の安定を保持する秘訣。なんと言われたっていい。こうすることでしか、平常心を保てないのだ。
とまあここまでは前置きで、なんなんだ最近のゴミの分別は。と私は言いたいのです。
渋谷にいた頃は、途中から分別がたいへん楽になり、天にも昇る気持ちだった。あまりのうれしさに、一週間くらいの間、会う人会う人みんなにそのヨロコビを滔々と語った。日頃非協力的なのに、わざわざ区民アンケートに答え、このゆるやかな分別方法について絶賛したものだ。それなのに中野に戻ってきてからというもの、またゴミ分別に悩まされることとなった。一時は「こんなんじゃ死んだ方がマシ」とまで思った。私の小さい頃は、刃物や陶器以外はみんないっしょだったと思う。あの頃にもどりたい……ゴミの分別のない自由なあの頃に……。