マレーシアでジンベイザメひっかかる。これは絵になる。
さて、正月のメルマガで第一に挙げた「タクシーで出勤しない」という今年の抱負。それをまんまと初日から裏切ったので、自らを奮い立たせて明日から自転車通勤することに決めた。なので今日はチャリ用の手袋と鍵を購入。スカートの下にはジャージをはく予定だ。
方南通りと青梅街道を、猛ダッシュでかっ飛ばしているジャージの中年女を見かけたら、「あ、土屋だ」と思っていただいてまちがいありません。しかし声はかけないでいただきたい。生きるか死ぬかの猛ダッシュ中なので。
自分でもさすがにアホかと思うが、今年4度目の初詣に行った。新宿の花園神社だ。眠らない街新宿、午前中ではあるものの、茶髪率の高さには驚かされる。朝帰りについでに寄ってみたとか……?とよけいな邪推をしてみる。そんなことより帰りに
ペイティさんを目撃した。私は座っていたうしろ姿だけで「もしや?」と思って前にまわってみた。まさにペイティさんだった。神々しかった。ここ数日間でいちばんご利益がありそうな光景だった。
ケイタイも持ってなかったし急いでいたので写真は撮れなかったが、きっと新宿はホームレスにとっては居心地もいいことだろうし、しばらくは滞在してくれるのではないだろうか。明日も行ってみようと思う。
ゴム状硫黄「黄色」です―17歳が実験、教科書変えたどこんちの子ども(親)も同じかもしれないが、息子のオンが小学生までは天才だと思って育てていた。てっきり生物学者にでもなって変人の道を威風堂々と歩むものだと思い込んでいた。だからこのような学生の記事を読むと、あの頃の記憶が蘇る。私は頭が弱いので、他の親より少し長い間、夢を見ていたのだろう。その後、急降下でゴゴゴと現実を突きつけられるわけだがそれでもいいと思う。いい夢を見させてくれたとでも言おうか。せめてこのまま飄々と、何にも動じず、決してお世辞を言わずに過ごしてくれたらキミの望むように「ダンボールの家に住んで晴れの日には屋根をはずして空を見る」という夢が現実になってもそれもいいだろう。
写真はまったく関係ありません。うちのオカンは、色んなハナシを自分の自慢につなげる天才だ。まあ私もその血を受け継いでいるが、彼女くらいのキャリアはないので、その強行に展開していく技には感心することもある。人の自慢話はウザい。それも本当かどうか定かではないオカンの昔話(しかも何十回も聞いたやつね)など誰も聞く気はない。そのたびに「はじまったな……」と、聞こえよがしにつぶやくようにしているのだが、この私のささやかな抵抗を受けてもオカンはビクともせずにそのまま突っ走るか、あるいは「はじまったじゃないわよ!」といいつつ自慢を続ける。しかし今日は少しちがった。
「またはじまった……」と言ったら、接続語のようにさりげなく「ま、またはじまったんだけど、」と話を続けたのだ。つまり、「またはじまった(自慢が!)」と認めた瞬間である。しかし人間の開き直りというのも醜いもんだよね。