今日気になった記事をムリヤリ探すと、
<家庭科テスト>まつり縫い、中3で半分以上できずこれでしょうか。中3どころか私も出来ませんから。
私の裁縫能力はほぼゼロに等しい。
たぶん、隣に住んでいたナオ(当時小2)のほうが、今の私よりデキると思う。
高校のときは課題のスカートを、夏休みに学校に提出しに行かなければならなくなった。だがどうしても作る気にはならず、かといって友人買収もなかなか成功せず、そうだ、中学のときもこんな課題あったな(出さなかったけど)と思って中学の友人にまだ保管してるか聞いてみた。
「まだ持ってるよ」というモノ持ちのよい友人が一人見つかった。彼女なら大丈夫だ。この期に及んで、私はその裁縫のデキを想像して満足。欲が出たのだろう。学校の住所を伝え、私に成りすまして直接郵送してもらうことにしたのがまずかった。この一手間を惜しむでなかった。
暑いさなかに、先生から発狂寸前で電話がかかってきた。
親子ともども真夏日にに呼び出されたのだ。
結局友人は、すっかり履きふるしたハンドメイドスカートを学校に送ったのだった。
そうだ、出来のいいスカートというのは人が履くことの出来るスカート、ということに私は気付かなかったのだ。
○十年間教師をやってきて、こんなことは前代未聞です!
箱を開けた瞬間、心臓が止まりそうになりました!
情けない!本当に情けなくて涙が出ます!
先生はこんなことを握りこぶしを震わせながら言っていたように思う。先生など怖くはなかった。となりでひたすら頭を下げるオカンのほうがよっぽど恐ろしかった。恐ろしすぎて、その後の記憶はまったくない。よほどひどい虐待的罰を受けたのかもしれない。でもその後、スカートを作らなかったことだけは確かだ。
そうだ。この先生は、寝ていた私が授業終了後に目覚めたとき、目の前にいた先生だ。教室の後ろのほう、カバンを枕にして私は床に大の字になってグースカ寝ていた。なんとなく教室のざわめきで目をあけたら、身体をまたいでのっしりと立ち、私を見下ろしていたのだ。あの光景は今でも鮮明に覚えている。太陽の光を背に受けて逆光になっていた。一瞬誰かわからない。本当に真っ黒の魔物のように立ちすくんでいた。大目玉を食らうかと思ったが、大して怒るでもなく、悲しげに去っていった記憶がある。
この一件もオカンに言われるのでは……と危惧したが、それは悲しみのあまりに忘れてしまったのかもしれない。伝えられることはなかった。
夏休みも終わり、二学期を迎えた私たちは、先生の訃報を知ることになる。
完全犯罪、殺人者、と言われるのは、この所以である。
私はオカンに伝えなかった。
でもその二学期の間に、まんまと友人らによって、眠り事件の件も含めオカンにチクられることとなった。私はまつり縫いもマスターできなかったが、バチはあたる、それが私が家庭科の授業から学んだことだ。