もうとっくの昔のような話になるが、私にとっては現在進行中である。
私は今、恐怖に慄いている。
マイケルジャクソンが死んだ。そもそもが人間ではない、なにか別の生きものような浮世離れの象徴だったので、私にとって彼が息をしているかどうかはあまり関係ない。いつものように彼の奇行を盗みみている気分で、ネットの情報にブチ当たっている。
今でこそ実感はないが、週明けに私は、いやというほど彼の死と向かうこととなるだろう。そしてうんざりしなければならない苦行を強いられるはずだ。自称日本一のファン(彼のファンは皆そのような自負があるかもしれないが)であるところのオカンから、死去の嘆きと、マイケルの偉業と魅力を滔々と語られる運命にあるのだ。甘んじて、かろうじて、身を呈して?オカンから生まれてしまった娘の定めとして甘受しなければならない。
今こうして平常心を保ちながら、マイケル君整形前の画像などを収集していられるのには理由がある。今後二日、オカンに接触する機会がないのだ。それにしても電話一本さえない。あまりにも不吉だ。かといって自ら連絡する勇気はさらにない。
私は彼の死を、今朝知った。そしてただ、第一報は私がなんとしても伝えなければならないという意味不明な使命感に煽られてオカンに電話をしたのだった。
「えええええっーー!?」とも「ぎぇええええええええっ!?」とも「じょええええええっ!?」ともつかない悲鳴をあげて、私の脳を突き刺した直後オカンは電話を切った。刺し逃げ。のどを痛めたコンドルの奇声に似ていた。コンドルの声、聞いたことはないが、ああそうだ。とにかくそんな感じを掴んだ。
マイケルが死んだからか、使命感に操られていたのか、それともコンドルの奇声に恐れ入ったのか、いいやオカンが電話を切ったからだろう、私は自分の動悸が激しくなっているのを感じていた。「なんだ今のは……」
なぜいきなり電話を切ったんだ?
もしやそのまま気絶したんじゃ……。それとも以前、オトンの浮気が発覚した時のように、脳血栓でぶっ倒れた可能性も否定できない。記憶の一部がバッサリもぎ取られているかもしれない。悲報を伝えた私を恨んでいるかもしれない……。
などとチラチラと書いたのが一昨日だった。
その後は息子オンの誕生日や、友人らとの会食などで夜昼なく私は慌ただしかった。会う人会う人、マイケルの名を出さない人はいなかった。洋楽を聴きそうもない友人は、茫然として弁当が作れなかったと言った。あの非情な元旦那、五十嵐にも「映像みると泣きそうになる」と言わしめた。そして、曲名のひとつさえ知らないであろうコレステロール伊藤ちゃんでさえ「思い出がよみがえるわよねー」と空を見つめて言うのであった。なんの思い出かと思ったら、体育教師がプールの授業でビキニパンツを履いていたことに仰天した、そんなことを筆頭にあげていた。
そして今日、強靭な精神でもって覚悟をきめて実家に赴いたが、とうとうオカンはマイケルに関して一切を語らないのである。ただ、彼女のベッドの脇に、初来日コンサートで購入したパンフレットや写真集などが置いてあったので、脳内変換したわけではなさそうだ。
沈黙を通しているのがなんとも不気味で仕方ない。
かつて私はいきなり学校をやめてその日に渡米(家出)したことがある。「アメリカに行くので日本を探してもムダですよっ!」と空港から電話を入れた。半年間、家では私の話はタブーとされていたという。ショックのあまり、沈黙を通したのかもしれない。
それとも。ネットで拾った彼の奇行を、私はいつもオカンに嬉々として報告していた。そのたびに必死に擁護し「超スーパースター」であることを力説するオカ ンが滑稽だったのだ。彼が現世に存在しなくなった今、彼女の崇拝するスーパースターを茶化されたとして、反論する気力さえないのかもしれない。
本当は私だって認めているのだ。彼が超スーパースターだということにまったく異論はない。そしてもう二度と、地球上でポストマイケルは現れないだろう。ただ、オカンのマイケルと、私のマイケル像にズレがあるだけだ。あのずば抜けたスーパー奇人に、追随しよう者などいるものだろうか。いねえだろう。どうやっても無理。
オカンは今もなお沈痛な沈黙を続けている。
この恐怖、きっと誰にもわかってもらえないだろうな。ちぇっ。
あの世で会おうよ!
------------------オマケファンなのかさえも怪しいマイケルドールお遊びサイト世界一似ているマイケルマスクマイケル・ジャクソンの死: ニューメディアが先手を取るも、最後は旧メディアに軍配が上がる at ブログヘラルドマイケル・ジャクソンは、私の見解では、医師達が死亡を確認したことをLAタイムズが報道するまで、本当に亡くなったとは考えられていなかった。
私が真実と言うまでは真実ではない。それが力と言うものだ。