私事
今日(昨日)は、息子オンさんの卒業式だった。浪人なのでめでたくはないが、2,3日前から、卒業式のことを思うと泣きそうになるという奇病にかかった。オンの先生と、友だちが、好きで好きで仕方ない。
今日などはもう朝から緊迫した状態で、涙でコンタクトが流れ落ちてしまうと思い予備まで用意した。バスに揺られては泣きたくなり、空が眩しいと泣きたくなり、校舎を目にしてその白さに目が潰れそうになった。何度も呼び出しを食らって頭を下げにきた謝罪舎を、本日この時からやっと「息子の母校、学び舎」と、正々堂々と呼べるのである。
式場でしばらく待機している時からこのような呟きをかましていた。
ところがどういうわけか、ぜんぜんヤバくはなかった。
まったくもってこれっぽっちもヤバくない。
ヤバいのはむしろ校長先生だった。
この学園のトップは、過去にも校内広報誌に「
DAIGOのうぃっしゅポーズ」で登場したくらいだから、名物理事長が他界した今、何かやってくれるかもしれないという期待はあった。それにしても、まさか卒業のはなむけの言葉に「ラブ注入!」を聞くとは夢にも思わなかったじゃないか……。
涙は出なかったが冷汗はかいた。
唯一泣きどころとして組みこんだ「合唱」なのだろうが、ピアノ男子がありえないくらい(しかもやたらでかい)ミスを連発。演奏は途中でとまる。そのたびに生徒たちも歌をやめる。ポロリポロリと鍵盤をたたく。そろりそろりと手探りのような歌が始まる……。
卒業も浪人もすべて忘れて参列者全員で一心不乱に祈る。
どうか、なんとか(無事にとは言わない。もうすでに無事ではないから)おわりますように……。
そしてピアノ男子は、どんな成績優秀者より三年間皆勤賞より、大きくあたたかい喝さいを一身に浴び、この式典の主役の座を彼一人に譲ったカタチになったがまああれはいたしかたない。そんなわけで、大いに号泣準備を整えていた私の気分が萎えていくのも仕方ないことだと思う。
ただ唯一、担任のM先生によって、壇上から名前を呼ばれるとき、オン含め仲のいい友人たちだけが、式場に響き渡るほど大きく、自衛隊のように覇気のある声で
返事をしていた。この3年間、延々と非模範的行動をとりつづけてきた連中が、高校生活最後の日に、全校生徒の前で模範的返事をブチかましたのである。半分居眠りしていた私の隣の保護者を叩き起すほどの大きな声。あれをほめたたえるのを、すっかり忘れていた。
最後に、教室で担任のM先生が「今日の日はさようなら」を独唱してくださった。相撲部の顧問でもある先生が、飾り気のない、腹の底から朗読しているような声で「いーつまでも絶えることなくーとーもだちでーいようー」と歌っていた。
入学当時、一番最初に退学するだろうと言われていたオン、進級の季節になると職員会議にかけられ「もう来年度はないだろう」と言われてきた。あと1回遅刻すれば留年という年には、校門前に寝袋持参で野宿した方がいいのでは・・・という相談を真剣にした。そして実際、あと1回停学になれば、退学という有様だった私の息子が命からがら卒業できたことを「奇跡」と呼んだ人がいたがそれはちがう。このM先生の大きな声のおかげだ。奇跡じゃない。
M先生は毎日、大きな声で生徒一人一人に呼びかけ、心配し、信頼して、守って、大事にしてくださった。私はかつて、この世で恨んでいる人間は
ただ一人、と書いたが、ここまで感謝してもしきれない他人は他に出会ったことがない。出会ってしまったので私はもう恨んでる人間のことは忘れるつもりだ。
とにかく感謝のしすぎで「感謝系ヒップホップ」さえも今なら受け入れられそうなくらいだ。私はM先生に手紙を書いたが、なぜかオカンや私の弟まで「私も書く」「俺も書く」と言い出すくらい、生徒ら曰く”M(先生)教”はこんなところにまで浸透している。
ええっと、とりとめがないので、いいかげん育児日記はこれくらいにしなくっちゃ、と思いつつ、最後に、彼らの卒業文集の中から、オンの親友であるI君の「作文」があまりにも気に入りすぎてたまらなくなったので転載させてもらいたいと思う。この年代にありがちな、大人びた言葉を残そうとする、あるいは完全にふざけた文章が目立つ中で、彼の自然なふざけ具合と本気かもしれない具合、あと絶妙な照れが大人を煙に巻く。その巧みな技は天性のものだろう。
僕は最初、この学校が嫌いでした。理由はただ一つ、女の子がいないからです。本当にそれだけが理由でした。女の子がいなければ、僕は目立つこともしないし、何もする気になれなかった。だから、今更だが何事も真面目に取り組もうとした。これまでのツケを取り返そうと思った。でもやっぱり長続きはしなかった。すぐに眠気が襲ってくる。このまま地味な生活を送っていくのかと思った。そもそも体育なんてものは、女の子が窓から覗いているから頑張れるものじゃないかと今でも思う。でもこの3年間を通して、素の自分でいられた気がします。先生もまあいじめられた気もしましたけど、なんだかんだ楽しかったです。特に沖縄の修学旅行は楽しかった。いろいろあったけど、やはり1番は僕とバスガイド、いや、僕と「アイ」(※おそらくバスガイドの名前だと思われる)との短い恋です。あれは今でも感動できます。というより今でも愛しているのかもしれません。こう振り返ると、しっかり高校生活を楽しんでるんだという実感が湧いてきます。なんだかんだで良い学校なのだと思いました。でも正直、女の子の件は未だに引きずっています。消しゴム借りたかったし、「男子、まじめにやってよー」と言われたかったし、学ラン着せてはしゃぎたかった。ちやほやされたかった。でも3年間楽しかったです。
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さて、例の、
大きな返事の件をオンに訊ねた。「あれはみんなで示し合わせてやろうと思ったの?」と言って、あとで誉めようと思ったが浮かぬ返答が返ってきた。
「ああ、あれね……でもぜんぜんウケなかったっしょ?」
「え?」
「ほんとは『はぁ~?いぃ~?』って言うつもりだったんだけど直前でD(先生)に、『お前ら、ぜったいウケ狙いするなよ、頼むからするなよ、するんだったら卒業してからにしてくれよ』って言われて急きょ変更したんだよ……あれだけは後悔だなー」
と本気で悔しそうだった。
そうか、後悔か。
そんなことより大学落ちたことを真剣に大後悔してほしいんだけど。