Symbiosis of working and living By Alina Fedorenko
生活と商売をいっしょにしている人たちの写真が、丸出しでとてもよかった。経済成長が著しい中国が舞台だ。
ヤバい。好きだ。行ってみたいし住んでみたい。
こうした生活が見えるものが、私は好きすぎる。
小学校の同級生は、商店街の子供たちが何人かいた。中でも中2のときにつきあったトモヒロはせんべい屋で、よく店舗兼住居に遊びに行ったものだ。彼は当時流行っていたガンダムのアムロに似ているという理由だけでつきあって、性格もほぼアムロだったのでそのうち飽きてしまったが、なんだかんだといまだに交流がある。
元ダンナの親友で、いまだに「トモヒロの父ちゃんがミック・ジャガーと同い年!」とからかわれている彼は、私が想像していたよりもはるかによい夫と父親をこなしている。
彼の家は、店の奥が居間だった。台所もそこにあり、二階はほぼ寝室になっている。ミックとおばちゃん、トモヒロと弟の4人家族で住んでいた。私たちはいつも、せんべいを焼く機械のある裏口から侵入して、家族の晩ごはんまできっちりご馳走になる。今考えると、かなり迷惑な話だ。
結婚してからも私はよく通った。ミックことおじちゃんが、せんべいを焼き終えて汗だくになりながら私たちの団欒に加わる、という流れが常だった。
あるとき、おばちゃんから「あんたにフラれた時は、トモヒロは一晩中二階で泣いていたのよ」と聞いて心底ビックリしてしまった。なにしろ、私が彼とつきあってたことをおばちゃんは知らないと思っていたし、そもそもトモヒロが私のことをそんなに好きだったとは思いもしなかった。
深く考えず、飽きたし別れよっかなと思って二つ先のA組に行って「別れよ」「おう」と、授業と授業の合間の休み時間に私たちの浅いつきあいはカンタンに終わった。つきあうのも別れるのも思いつき、そんな時代だったと思っていたけれど、みんなはそうでもないのだろうか。
彼とやっていた交換日記(当時はそういうものがあったのです)も、元ダンナたちがぜんぶ読んでいたこともあとで知った。
「はあ?」
私は色々と、あとで知ることが多い。やっぱりちょっとバカなのだろうか。あるいは「だった」のか。でもちょっとくらいバカなほうが、つきぬけて楽しいってことが多いんじゃないかと思う。
交換日記の話なんて、あってもなくてもいい情報だけど、彼が一晩中泣いていたことをそのときに知っていたら、私はきっと、元ダンナとは結婚しなかったし、それからせんべい屋に通うこともなかっただろう。よけいな情報は、ないほうがいい。
ちょっと話が反れたけれども、とにかくせんべい屋の、あの店と居間の雰囲気がとても好きだった。たまにサメが出てくる晩ごはん。おじちゃんが汗を流している裏口。銭湯から帰ってくる同級生たち。たまに顔を出す、両親がSMスナイパー愛読者だった、隣のすし屋の息子。筒抜けの世界を、私はとても愛していた。
この中国の写真は、商店街で暮らす彼らのことを髣髴とさせる。なんだかんだと小さなモメごともあるにはあるけれど、やっぱり小さい頃から知っているという安心感というのははてしなく頼もしいのだ。
もうこの写真群を見てしまってから、どうにも中国のことが頭から離れない。
これは日本よりも過激に筒抜けだ。
旅行に行ったら、ここに行けるかな。行けるといい。
写真はすべて以下から。
……という思い出話を久々にしたところでTwitterへ。
2017/9/27
2017/9/28

vegetables into adorable animals to get her kid to eat his greens 息子に野菜を食べさせるママの努力見て。。 感動だ。
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ネネロック★しのぶさん
@Ricamo_nenerock のワッペン、めちゃくちゃ好みの作品が多すぎるんですがこれは……
www.creema.jp/c/nenerock/ite…