頻繁にキチガイキチガイって言ってますが、なんだかんだいって、放送禁止用語への反発であり、いわゆるひとつの一生反抗期活動の一環なわけですが、生粋の、そして本質のところでいうキチガイは、舌打ちを頻繁にする人と、他人をつねる人だと思っています。土屋遊です。
本来の野性本能が、そういう人を目の当たりにすると「ああ近づきたくねえ」と思うのでしょう、完全なる拒絶反応を起こしてしまい、ただでさえふてぶてしい態度に見られがちなわたしが、パーフェクト無視を決め込むのですから相手はたまったもんじゃないことでしょう。
心理学的にはどうなのか知りませんし、知ろうとも思わないのですが、わたしが本能で感じる嫌悪感は並大抵のモノじゃありません。なんだろね、これ。
えーと、なにが言いたかったというと、はなっから話は逸れたわけですが、Facebookの世紀末的な広告であります。
だいたいシェアなんてしたくないし、ともだちと同じことなんてしたくない。やたらとわいわいつるんで行動したがる人種がいますが、そういう人たちは、この広告をみてカンドーするんでしょーか。
「マネっこ乞食ーマネっこ乞食ーつまんです~てろ!」
などという差別用語が蔓延していた時代に育ちましたから、わたしの年代はみな同じ心境かと思ったらそうでもないみたいで、いまや「ともだち100人できるかな」を超越した世界がTwitterやFacebookに広がっているわけで、世も末だと思いました。
友だちは多ければ多い方がいいというバカげた風潮を、わたしは憎んでいるといっても過言ではありません。
もちろん、友人が多い人を軽蔑しているわけではありませんし(自慢する人はクソですが)、そりゃあ友だちはいないよりいたほうがいいと思うけれども、いなきゃいないでいいやって思ってます。ええ、1人もいなくたっていいです。そもそも将来の夢は、
『アフリカの大草原で人類を避けて生きる』
ってくらいですから、この東京砂漠で独りぼっちで生きていくのも、ある意味イメージトレーニングができるというものです。一人で生きていくなんて、現実にはあり得ないという方もいらっしゃるでしょうが、それはお試ししてから言ってもらいたいもんですね。実際に、誰にも頼らず、口もきかず、自分だけを信じて(あるいは惰性で)生活してる人って、皆無ではないと思いますよ。わたしのいる新宿界隈でもそこらじゅうにいるような気がします。もしそれが本当にムリだとしたら、そこで野垂死にすればいいだけの話です。じっさい、わたしにはそれを実現できる根性も気高さもないけれど、そういう人はとても崇高だと思っているのです。急に弱気になりますが、私にはきっとそれができないからよけいに崇拝してしまうのでしょう。
友だちがいないことより、孤独より、わたしがなによりも一番恐れ怯えているのは己を好きでいられないことです。なによりもきっとだれよりも自分大好き人間だったわたしが昨年以降、自分の首を絞めるようにどんどんキライになっていったことは、自分の人生における最大級のできごとで、これ以上のパニックはもうないと思いたいし、おそらくないでしょう。
ええっと、まるごと話が逸れてしまいましたが、とにかく、Facebookの広告、アホか。
イヤちょっと待てよ……「びっくりさせたい」ってところだけは同感だな。
そんな優柔不断なわたしなので、今後ともよろしくされなくていいです。アホか。
んじゃ、ともだちんち行ってきまーす!