「立ち向かっている人」というのはなかなかお目にかかれるものではありません。
スポーツ観戦では、対戦相手や己自身または記録などと戦っている勇姿を見ることが出来ますが、なぜでしょうかイマイチ「立ち向かっている」という盛りあがりに欠けます。
立ち向かっている人 その1
内戦で立ち向かっているお父さん(推測)、彼は逃げていますが、正真正銘、内戦に立ち向かっているというわけで。
わたしがかつて目撃した中では、立ちこぎチャリおばちゃん。彼女はたしかに立ち向かっていました。
おばちゃんは、失礼ながら般若のような、歯を食いしばるとはこのことだ、というようなすさまじい顔をして向かい風50mの中、一向に進まないチャリを立ちこぎしていました。もうこれは何と表現すればいいのでしょうか。見てはいけないものを見てしまった感……。しかし凝視せずにはいられない、生まれて初めてお目にかかったスローモーションチャリンコこぎ。全くもってキョウミとキョゼツとキョウフが混同した複雑な心境の中で生まれた感情、それが「あっ、あのヒト立ち向かってるっ!」そのヒトコトだったわけです。
わたし自身も立ち向かったことがあります。向かった……というか、「ああ、わたし今、立ち向かっている…!」と思った瞬間です。
あの日はいわゆる台風でした。ベランダに置いてあったテーブルやらイスやらバケツやら、とにかくあらゆるモノたちがいっせいにドドドドドードドドドドーッ! ガガガガガガーガガガガガガーッ! と、右往左往していました。矢のような雨ががむしゃらにガラスをたたき付け、前々から破けていたアミ戸の被害もさらに拡大していましたが、そんなチンケな事を気にするわたしではありません。窓の前に立ったわたしは、とてもバカでは考え付かないような発見をして安堵していたのです。
立ち向かっている人 その2
人じゃなくて犬。いつも先頭に立って警察を挑発していたギリシャのたくましい犬。まさに立ち向かっている!! 元気にやってるといいんだけど……。
ここにガラスがあって良かった……
窓がなければわたしはずぶぬれだ。
さらにこんな事も考えました。
この雨つぶの大軍がイナゴでなくて良かった……
ガラスがあっても、イナゴはいやだ。
さらに言えば
これがスズメバチでなくて本当に良かった……コンパスでなくて良かった……と、妄想は肥大するばかり。
とにかくわたしはなぜか、Tシャツとパンツ一丁で、雨つぶがスズメバチでなかったことをいいことに窓を開けてしまったのでした。さらに驚くべきことに、ベランダで凄まじい大雨強風洪水警報に立ちはだかったのです。自分は今、世界で一番カッコイイのではないか、などと恍惚の表情を浮かべていたと思います。目をあけると、大粒の雨がバチバチ飛んできて痛いのなんのって……無論、寝室のほとんどが瞬時にして水浸しになったのは言うまでもありません。
(もうそのことについては語りたくないのでこの辺でちょっとおわりにしていいですか)
立ち向かっている人 その3
3.11の避難している体育館でおどけてみせる少年。当時一番号泣した写真。
311以前、311以降。わたしの友人らは、あの日を境にかなり変わったと話します。お酒を飲むようになった人、タバコをやめた人、逆に始めた人、不眠になった人、引越しした人、人見知りがなくなった人、何に対しても慎重になった人、地震が怖くなった人……。わたしは自分だけが、動揺もしていない、なにも変わっていないと思っていました。震災の報道写真は印象的なものがたくさんありましたが、その中でも1番はコレ(上の写真)。周囲が一変した非日常において、こうして必死に「災害」に立ち向かっておどけている! なんてかわいくて、悲しくて、うれしくて、切ない写真なんだろうかとそう思い、号泣しました。
今考えてみれば、幼いころ台風で寺に避難したわたしは最高潮に調子に乗っていましたから、このやんちゃな少年も同じだったのかもしれません。いやきっと、同じだろう。何も考えてないんだろうと今では思います。本当のところは本人しかわからないし、もっといえば本人にもわからないのかもしれないけれども、どっちにしてもこの写真で、被害にあった方々に心底応援したくなったのは事実です。
強がってはいたけれど、けっきょくわたしも地震脳だったのかもしれません。いや、当時の様子を読み返してみると、明らかにテンションが浮つっていました。なにしろ
ケイカクテイデンのことを、ガッキュウブ(ウ)ンコとか言ってますからね……。はぁ。