ばあちゃんが死んだーーーー!(
いくしゅんのマネ)
常に恐ろしく、独裁政治並みに親戚一同をいつも震撼させていたばあちゃんが死んだ。
私が
ドスサントスドスサントスバスガスバクハツなどとツイートしてる数時間後に死にました。
唯一私にだけは甘かったので、顔を見た限り、
とくに怒っている様子はありませんでした。(たぶん)
あーあ。あーあ。あーあ。
という訳で10年ぶりに島根に帰ってきました。
生まれてからの6年間、私をご立派に育てあげたばあちゃん。
私のカラダの約7分の1はばあちゃんが作ったことになる。
足の片方をもぎ取られた気分なので、今日はケンケンで歩こう。
と思ったけどそれはできなかったしする気もなかった。
私を作った家。
風邪で遠足に行けずに、どうしても家で遠足をしろとワガママを言ったら
階段を山に見立てて屋内遠足につきあってくれたばあちゃんでしたね。
こっちもバカだがあっちもバカだなー。
悪いことをしては逃げ込んだ私の隠れ場所。もう隠れられない。
探す人もいない。
ばあちゃんはわかっていても探すふりをさんざんしていました。
アハハーバカだなー
6年間かけずり回った門前
すべての家に勝手に上がり込んでたので
今もある各家を訪問して泣かせておいた。
萬福寺は私の母園
お遊戯会の練習中、大騒ぎして立たされた腹いせに
職員室のユニセフ募金をバラまいたり牛乳を片っ端から割ったりして
憂さ晴らしましたね。
何度溺れかけても何度も入った小川
うんこもよくして、棒でつついて友だちに付け回そうと駆け回ったりしてました。
孫(従兄弟)ひ孫同士で写真撮るっつってんのに、
しれっとマジメな顔で背後に入り込む叔父(一番の異端児三男坊)
通夜の日とは思えない晴天なり。
通夜では、坊さんがのってきて、
木魚叩くリズムとお経みたいのが途中からラップみたいになった。
自分だけがそう感じてるのかと思ったら、
いとこの子ども(3歳児)がリズムに合わせて手を叩き出したので、
いとこと笑いが止まらなくなってヤバかった。
明日(告別式)もこんなだったら笑いが止まらないよーどーするー?
って従姉たちと話していたけど、
告別式では弟子みたいな坊主が木魚役で
ラッパーまだまだ修行が足りん!と思った。
そして通夜の晩、お線香をあげ続けなければならないのに
五人の叔父(息子)たち全員呑み潰れて
お線香はきれいさっぱり消えていた告別式の幕開け。
灰になったばあちゃんをみて
「これ、もうばあちゃんじゃないな」って言ったら叔父にど突かれた。
呑みつぶれたくせにーーー!
お通夜も告別式も「さらば」を実感するためだけのものだと思って
色々な機会を避けてきたけど
結局さらばがうまくできない。
ばあちゃんも、育った家も町も「他界」したような気分にはなってるけど
「いざ」がうまくできないのだ。
どうすればいいんだろう。ケンケンで歩くとか?
地獄へ行きませんよーに!
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