スケボーですっ転んでからというもの、左肩がずっと痛んでいます。着脱するにも気合いがいるので、これは実は(一般にいうところの)「50肩では?」と思っていたんですが、カラオケで踊る場合は痛みを伴いません。むしろ、ここんとこ二日置きくらいにカラオケボックスに通い、よせばいいのに人の歌で踊るといういわゆる邪魔を二日置き日課としているのですが、そんなときでも腕だけは一向に痛みません。それどころか足がダルい。どーすんの、これ。
ちなみにわたしの場合、自分が歌うときは踊りません。同行者らには「踊っていた。飛んでいた」とよく言われますが、実はわたしの場合、歌に集中していますし、マイクも両手で持ちますし、なによりいわゆる休憩時間でもあるわけですからそんなことはないのです。これもあれですね、一種のプラシーボ……じゃなかった、なんていうんだっけ、こーゆーの。思いこみってやつですか。固定観念? 偏見? みなさんバカですね……。まあ人の歌ってるとこなんて、聞いちゃいねえってことですよね。わたしもね。
固定観念で思い出しましたが、わたしは既成観念がキライなんです。キライなくせに、自分ではそのような傾向もあったりしますが、それをブチ破りたいといつでも思っています。
たとえば何かの作品を観て「よくわからない」という概念があるけれども、それってじぶんが今まで観たことないモノだってことだから、初めて観たってことだから、もんのすごく得したぁーーー! っと思ってい~と思うんですよね。意味不明だろうが、嫌悪を感じようが、もしかしたら一生観るコトの出来なかったモノなのかもしれないじゃないですか。それ、観てみたい。
一番イケ好かないのは、「わからない」感想を、軽視し小バカにする人種ですね。そもそも「わからない」ことが負の感情かどうかといえば、それだってわかったもんじゃないですよね。勇者のカンジョーかもしれないじゃないっスか。
ただ、知らなくていいこと、これは別物です。
一般には「かわいい子には旅させろ」というように、苦労も、身をバリバリに引き裂かれるような辛い経験もしたほうがよいとされている風潮にありますが、わたし自身はそんなこと微塵も思いません。今まではそういったことに関して考えることさえなかったけれども、知らなくていいこと、知らなくていい感情なんてこの世にたくさんあると気付きました。これはいずれ、時間が経つにつれ考え方が変わってくるかもしれないけれども、少なくとも今は、自分を180度変えてしまったできごとに関していえば、知らない方が良かったし、息子やわたしの好きなこどもたちには、「知らなくていいこと」を経験させたくも見せたくもない。彼らの目を、この薄汚れた両手でふさいで「だあれだ?」とはぐらかしたい。そんなふうに思いつつ、同僚に「裸足で事務所を歩かないでよっ!」と叱られている毎日であります。
じゅうたんが汚れるわけではなく、わたしの足が汚れるわけですからちょっと意味不明ですよね。え。まさか、わたしの足ウラが床を汚すとでも……?
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