本日のお題は【おもち】
marie_yから〜
『おもち』。これがね、カンタンじゃーんと思ってたんですよ。
ところが以外にも難題でした。
だってお持ちかもしれないし、お餅かもしれない。私の知らない『おもち』という存在があるのかもしれないし、『ゃ』を忘れていて本当は『おもちゃ』だったのかもしれない。どうでもいいのかもしれない。
まあ、お題を出したマリ絵は、食に関しては尋常ならぬ執念と熱意、そして腕&味覚と知識をお持ちの方ですから、おそらく無難に『お餅』のことだと思われます。
少なくとも彼女が、初対面の異性間で人間という物体としてのお持ち帰りをされたこともしたこともないことだけはたしかでしょう。
というわけで、根性がDNA
デオキシリボ核酸のようにねじ曲がっている私ですので、本日書く題材を決定いたしました。
【おもち】
中学校は通学に徒歩20分以上かかりました。そこで流行ったのが"お持ち"という歩き遊びです。ご存知の方も多いかと思いますが、じゃんけんで負けた人が、次の電信柱までみんなの荷物を持つという遊び。ああいう時の私のじゃんけん力は、自分でもじゃんけんの神が宿ったんじゃないかと恐ろしくなるくらい優勢きわまりないものでしたので、よく皆に後出し女と言われていましたが、本当に強いのです。あんなところに運を使い果たしていいものか不安になるほどでした。(なりません)
だいたい4,5人で帰宅していたと思いますが、負ける人は徹底的に負ける。全員分の重いカバンを持ち、やっとの思いで次の電信柱に到着。その瞬間にオーゲサに、ドサリと複数のカバンを下ろした直後のじゃんけんで気合いを入れすぎてまた敗北という時の情けない表情!電信柱で途中放棄してもいいルールだったのですがそれも悔しくて続けてしまう人間の計り知れないエネルギー。ネバーエンディングカバン持ち。
今私は、運命やら運気とかそのようなものは一切合切信じていないのですが、あの時だけは、今で言う運気というものがあるなあ......人間は不平等でバカでホント面白いなあと思ったものです。いちいち連続敗北者が出る度に高笑いをしていました。住宅街に響き渡るあの高笑いが、敗者の折れかかった心を奮い立たせたのでしょう。
私が不平等論者になったのは、あの"お持ち遊び"のせいだったのかもしれません。
それにしても今は電信柱が少なくなりました。
今の若い子たちは大変だなあ。いったいどこまで運べばいいんだろーなー。
お持ち遊びが出来ない通学路なんて、ただの通学路です!そうです、また別の遊びを考えればいいというもの!
さて。せっかくですから、次回は正統派【お餅】について書きたいと思います。
死に至らないと確証があるなら、一度はノドに詰まらせて、掃除機で吸い取りたいと思っているあのお餅のことです。