2日間続いた「今日やった仕事の箇条書き」。というか、2日間を「続いた」と言っていいとお思いですか? わからないけど、もう書いてないし書く気もないことだけは確かです。
最近ずっと鬱々としていた。人と会えば、「この先めんどうなことしかなさそうだから早く死にたいなあ〜」と言っているわたしが1番面倒なやつだろうな。
しかしここで勘違いしないでもらいたい。
「早く」「死にたい」とは思っているけれど、
「今すぐ死にたい」
とは思っていない。
「今すぐ死んでもいい」
とは思ってるんだけど、
「死ぬように心がける、努力する」
こともない。
その証拠に、先日は腎臓の検査をした(どうってことなかった)。
ようするに、俗にいう希死念慮はない。たぶん。
"ただぼんやりした不安"と言ったのは芥川だったか川端康成だったか。※芥川でした
この、(ぼんやり)というのが厄介だな、と思う。明確な、歴然とした、正真正銘、生粋のジャストザ不安ではないので、病院に行くほどでもない。
生粋鬱の時に、何件も病院を巡る努力をした経験からみても、どうせ解決策はない。
あんなにはっきりと「死にたいです!」と明言していたにも関わらず「まずは様子をみましょう」となっていたのだから(あたりまえだけど)、このぼんやりとした不安などは門前払いとまではいかなくても「まずは様......」で終わる可能性が高い。あーめんどくさい。想像しただけで疲れちゃう。
それにしても毎日どんよりした気分は抜けない。やっぱうつ病かもしれないなあ......と思っていたところへ、昨日、弟から手紙が届いた。朗報だった。
朗報というか、不幸中の幸いくらいの朗報だけれどわたしにとってはとても大きいなことだった。一気にブチ上がり、部屋中をスキップして歩き回りたいほど浮き足だった。うれしすぎて寝るのもったいないな〜と思いながらもわりととっとと寝た。
それから今日になって、ポポタムの大林さんからすばらしい作品集が届き、村井理子さんからニッコリしてしまう楽しい写真がメールで送られてきた。
あまりにもうれしいことが連チャンで起こったので、「いや待てよ。わたしは死ぬのか!? 」と疑ってかかってしまうほどだったけれど、ついさっき、税理士さんから去年のわたしの年収を教えてもらってあまりの少なさに愕然とした。会社員の時よりひどい。これで生活できるわけがない。わたしはもしかして既に死んでいるのでは?
なんつーアップダウンなの。感情の浮き沈みが激しすぎて自分で自分にとてもついていけない。富士急ハイランドのFUJIYAMAくらい高低差激しすぎる......。と、ここまで書いて、あることを思い出した。
わたしは先日、2,3日前かな「毎日つらすぎるので、もしかして鬱病なのかもしれないな…とはいえ病院に行ったところでなぁ…」とTwitterに脳内吐露した。(というか何でもかんでも安易に吐露しすぎだということは承知の上である)
も、もしかして......? 弟は別としても、大林さんも村井さんも、わたしのだらしないツイートを見て行動してくれたのかもしれない。いや、それは自意識過剰というものだろう。先日も似たようなことがあったけれど、対象者に聞いたら「ぜんぜん」と言われたばかりだった。
いや、それにしても、ですよ? しがない、どうしようもない、大袈裟でダメな、人間失格的生き物に対して、あんなにやさしい人たちがいる、この世に存在するというだけでもわたしは!
ダウンアップダウンアップアップで、アップの勝利です。本日もありがとうございました。
先日のゲリラ豪雨で都庁らが見えない。
ポケモンショックを起こしそうな閃光もひどかった。
しかしこんな中でも洗濯物は取り込みませんでした。勝利。
村井理子さんの「義父母の介護」。本来なら壮絶な介護記録としてもいいところなのに、吹き出すくらい笑いどころ満載で一気に読んだ。わたしもその昔介護ブログを書こうとしたことがあるけれど、ユーモアに持ち込むことができず断念したことを思いだした。なんつー筆力だろうか。次々に起こる事件を箇条書きにしてみたらその数に気が狂いそうになってくる。笑ってるけど笑い事じゃねえぞ......絶対にこの1000000倍ハードだぞ......と、たまに気を引き締めながら拝読しました。
きっと他の皆さんとは読後の気持ちがちょっと違うかもしれないけれども、キレイごとゼロ! の文章の中に、そのエピソード群に、地球より大きなやさしさをわたしは見ました。
「義父母の介護」試し読みもできるよ