2025.1.31
親友Mと会うため立川へ行く。アメリカ在住で頻繁には会えない旧友だ。毎回息をするのも惜しいくらい近況を話しまくる。以前は数年に一度くらいだったけれど、近年は親の病気でペースは短くなっている。
飛び込みで入った店のステーキがこの世のものとは思えないくらい不味かった。見た目からしてアニメっぽいのだ。
店を出て、カフェに移動しながら「おいしくなかったな〜」とわたしが言った時、Mは無反応で別の話をしていた。幼少時からグルメ一家なのでわたしより遥かに口が肥えてるはずなのに心底どうでもよさそうだった。そうだった。一緒に食べて話した時間が最重要事項なのに、味の良し悪しなどしったこっちゃないじゃないかオイ貴様(わたしのことです)。
昨今の自分を振り返る。滅多に外食はできないしいつもひどい食生活なので、たまに外食して値段にそぐわない不味さだったときにプンスカ傾向がわたしは強かった。おいしいとか、そうではなかったのジャッジは、たとえ心の中でしたとしてもその時間を共有した人たちに失礼だったのだな、と、猛省というか自分かなりショボい、無様だ。これで人間を1人育てたのかと思うと寒気がする。
食べることがメインじゃないのに。小学校のときみたいに、公園の遊具の上でも、中学の時みたいに体育倉庫のウラでも、寒くても暑くてもカップラーメンとか焼きそばパンを買うお金がなかったとしても、いっしょに話せればどこでもよかったのに。外が暗くなるのを惜しんでずっとしゃべりまくっていたあの頃を思い出す。ダサい大人になったものだと思う。でも、今気付けてよかったとも思う。
次、いつ会えるんだろうね。と、だいたい毎回同じセリフでMとは別れる。見えなくなるまで彼女がわたしを見送ることはわかっているので振り返らない。泣きそうになるけど、泣かない。

これはかっこいいディナー作品 by Ignasi Monreal