【て】手
久しぶりに大好きな人と会ったとき、うれしい何かをもらったとき、なんでもないときでもわたしはよく人に突発的に飛びついて抱きしめたりする。いわゆるハグだ。アメリカ育ちの親友がいるということもあるが、ふつうの人より数は多いだろう。家族には、だいたい背後から近づいて腰にタックルするカタチで掴みかかる。お願いをしたり、何か言うことを聞いてくれたりした時が多いので、調子がいい行為とみなされている。他人に抱きついて、驚かれることもある。20才を過ぎた息子のオンなどは、力づくで離そうとするが、顔は笑っている。
「ワガママ言われても、ついアソビのコレ(ハグ)で許しちゃうんだよな~」
と、友だちに言われることも多いので、どちらかというと得をしていると思うが、もちろん損もしていることだろう。
だが、手をつなぐ行為となると、極端に少なくなる。韓国ドラマのように、女同士で手をつなぐということはない。もちろん男友だちにもない。まだ歩くことが達者なオトンやオカンの手を引くこともない。となるとやはり、恋愛感情を持った異性としか手をつながない。手をつなぐという行為は、意外と果てしなく濃厚な愛情表現ではないかと思ったりする。
いつだったか、ダンナさんを亡くした友だちのHが言ったことがある。
「恋人が欲しいとは思わないけど、自然と手をつなげるような相手が欲しいと思うことはあるね」
うわーーーーっと思った。そんな人が、また彼女に現れればいいな、と心底思ったけれど、あのダンナさん以上の人は、出現しないような気がしている。とても偉大で寛大な、無二の人だった。
わたしも好きな人とは、よく手をつなぐ。冬は、そのたびに手袋を外すので、頻繁に片方をなくしてしまう。そしてまた翌年、お気に入りの同じ手袋を買う。
ずいぶん前につきあっていた彼が、わたしの前を歩きながら、バトンリレーのように振り向きもせずに手をうしろに差し出してくるのがとても好きだった。わたしは街中をキョロキョロとしているタチだから、おそらくわたしが気付くまで、彼はそうしていたんだろう。それを見つけるとうれしくなって、ピョンと飛び上がるように駆けよって、その手にしがみついていた。彼は、わたしのその笑顔と歓喜の姿を、ついに一度も見ることはなかったはずだ。
ある時、付き合っていた彼との別れ際に、(あ、今日は一度も手をつながなかった!)と思ったこともあった。わたしがそれを彼に伝えたかどうかは忘れてしまったけれど、その時(ああ、この人とは近いうち別れるかもしれないな……)と思った。どちらかともなく自然と手をつなぐことが、どれほど大きなことか、うすらぼんやりわかっていた。
だから、Hの言った、「自然と手をつなぐ」というコトバの持つずっしりとした重さは、よくわかるのだ。オーバーに言えば、尊いとさえ思う。
以前のわたしは「男は手で決める」と手フェチを公言するほど、スラリとした指にこだわっていたが、ある時期から、職人の手に惹かれるようになっていた。
以前取材した「
ふうてんの研ぎ師」然り、染物屋の真っ青に染まった指先も好きだ。老人の、関節が曲がった指先も、病気かもしれないとはいえ愛おしい。
そして息子のきれいな手を見ては、(もっともーっと汚くな~れ)と思うのだ。
ちなみに最近見た中で感嘆したキレイな手は、漫画家
久保ミツロウのそれである。あれだけ手先を駆使していながら、なぜあの美しさが保てるのか、何を食ったらそうなるのか、今度会ったときには首根っこ捕まえてでも吐かせるつもりだ。
本日のオススメ本
手仕事、というよりもこんなにあるのか!と唸る道具の数々