ちょい奇抜なメガネをかけてた時、それを遠めで見た友人のダンナがわたしを敬遠したことがあります。
「アソビのメガネ、それどこのなの? 良ちゃん(ダンナ)が気味悪がってるー」
と友人が言うので
「知らん。オカンが買ってきた」
とブランド名を見てシャネルだとわかったとたん、手のひらを返したように対応が激変した良ちゃん、あっぱれなまでにクソの典型といえるでしょう。その後まもなくしてお二人は早々と離婚しましたので、大歓迎いたしました。
わたしのブランド嫌いは今に始まったことではなく、3月にもその
根本的理由を記しました。しかしもう少し追求しますと、ブランドそのものや持っている人を毛嫌いしているわけではないのです。ほかに運営している買物ブログでもそういった品々を紹介するときもあります。ただ、ブランド名はあえて載せません。いいな、と思った理由がブランド名ではないから、それ、必要ないのです。
わたしがゲロいと思っているのは、ブランドを誇示することで自分の価値をそこに見い出す人や、ロゴにのみ惹かれて購入してしまう人間です。さらに上に行きますと、それら以外を見下す輩もいますが、そのような方々はもうほとんどこの世の嘔吐物とみなしてかまわないでしょう。ウゲーー!
確かにラグジュアリーであるブランドには良質なものが溢れているけれど、そうでない(金額と商品の質がまったく釣り合わない)ものもたくさんある。本質ってなんだろう、ってことです。わたしの場合はやや病的に目をかっ開き、まるで捨てられた野良猫みたいに毛を逆立てつつ「だまされないぞー」と警戒しまくっていますが、できれば『見る目』というものを持ちたい。でも持てないから自分ではほとんど買わないし高ぇーよ! と、まあそんなところです。
ご参考までに:
買ったばかりのシャネルの靴が色落ち、女性が訴えるもメーカーは「履いて歩かなければ問題ありません」
ではごきげんよう。
アハハハハハー!