この写真、説明がなければ「?」だと思う。
これは、息子のポケットからでてきたもの。
幼稚園から帰ってきた息子のポケットを毎日探り、取りだし、台所のテーブルに並べて写真を撮っているおかあさんがカメラマンだ。
視界も低く、道に落ちているものもきっと大人より見つけやすい。小さくて、まだ赤ちゃんが抜けきれないようなぽってりした指で拾って、ポッケに大事にしまう。(そして帰るころには忘れてしまう)
これを見つけたときの、おかあさんの笑った顔が思い浮かぶ。こんな小さな、一瞬だけの宝物を見つける息子への愛おしさたるや!
毎日服を脱がせて、洗濯カゴに入れる前にポッケを探るときの、「今日はなに?」という気持ち。自分が知らないところで、かがんで拾う息子の姿を想像しただけで、抱きしめたいほど愛おしくなるだろう。ちょっとしたサプライズが毎日あるなんて、こりゃあもう母として最高のプレゼントにちがいない。
朴訥な男児を想像してしまったけど、そうでもないのだろうか。興味の対象が著しい。 私はこれはできなかった。やればよかった……。
つい先日もツイートしたが、・子育てに疲れた ・早く成長して欲しい ・夫が育児をしない……といった子育てに対する悩みや不満、鬱憤のようなつぶやきをたまに目にする。
そのたびに、もったいないなぁ……と思ってしまう。たしかに仕事や育児、そして家事と、ハードなことはよくわかる。じっさいに私もやっていたし、プラスして介護という問題も抱えていた。自分にすべてが降りかかっているような錯覚。どうして私だけ……という気持ちになれば、おのずと笑顔も消えてしまうだろう。ましてやTwitterでは、同じ年代の女性たちが活躍し、輝いている。でもじっさいは、そう見えるだけで、本当に活躍して輝いて、しかも絶対的に必要な存在なのは、まぎれもなく子育て中のお母さんのほうだ。
そういった「負」の気持ちに支配されすぎると、子供のちょっとした成長を見落としがちになってしまうような気がする。他人の幸福は見逃さないで、自分の子供との幸せを見逃すなんて、ぜったいに損だ。「いいえ幸せじゃない」と思うかもしれないけれど、子供の成長が幸せじゃないなんて事があるだろうか。どうだろう。幸せじゃない?
私はいつも、信じられないスピードで日に日に進化する子のすべてを、見逃したくないと思っていた。何に笑って、何がおいしくて、何が好きなのか。嗜好が変わった瞬間、はじめて生き物に触れたときの表情、指の動き。それを1番に発見して、一緒によろこべることは、子育てしている自分に与えられた特権だと思っていた。
「あ、大きくなった」と思うたびに、「これがいつか終わっちゃうんだよなあ……」という漠然としたさびしさと、軽い焦燥感みたいなものに襲われたりもした。これは先日、平民さんの文章を読んだときに、リアルに思い出したことだ。
すべり台で寝転びながら顔を見合わせていると、いつものように幼い表情でほほえみかけられ、私もそれにつられて笑ってしまうのだけれど、それは子供の中で暮らす妖精が「さようなら」と言っているようにも思えて、私は叶わない事だとわかっているのにこう願う。
「まだ、ここにいてくれよ」
そんな風に思う事が、日ごとに多くなった。
平民金子 ごろごろ神戸 すべり台
今、子育てで奮闘しているおかあさんたちには、手のかかる時期は猛ダッシュで過ぎてしまうということは伝えておきたい。人生のうちの、ほんの数年間しかない。右から左へ首を動かすくらいの、ほんの少し、あっという間だ。そしてこの時期こそ、振りかえると本当にキラキラしている。果てしなく長いと思っていた夏休みとそっくりで、過ぎてしまえばウソみたいだ。太陽に照らされたプールの水や川や海みたいに、思い返すとキラキラしていて、とてつもなく切ない思いであふれかえる。
小学校へ行けば楽になる、中学生になれば部活で帰りが遅いから自由時間が増える、高校にもなれば留守番も1人でできる、と思うかもしれない。肉体的にはたしかに楽だけれど、自分の視界から離れるということは、「見えない」ということだ。当然のことだし、そうでなければいけないけれど、彼らがつまづいて、あるいは誰かに押されて転んでも、手を貸すことはできないということだ。
ちちんぴいぷいも言えない。抱きあげて痛みが消えるように、気を紛らわすことなどできない。もう、顔やらヒザやら傷だらけになっても、どんなに泣き叫び血を流し続けても、それが外傷ではなく気持ちの中の、ものすごく大きな深傷だとしても、親である自分たちには、もう、何もすることができない。
ちゃんと栄養を考えたごはんを三食きちんと作らなくてもいいと思う。外食したってファーストフードだっていい。宿題だってたまには忘れたっていいし、うわばきを洗わない週があったっていい。保育園の道具を、すべて手作りにしなくてもぜんぜんいいと思う。そんなことが大切だとは微塵も思わない。「親として」に縛られて自己卑下することの方が問題で、ただ子供とはいっしょに何かをして、見て、発見して、話して、笑っていられればそれだけでも充分だと私は思っている。
でも、【負】の気持ちに捉われすぎると、笑えなくなるし、色々なことを見逃してしまう。それは自分にとっても損だし、ふりかえったときには後悔もするだろう。そしてなにより、子供にとって悪影響だ。お母さんやお父さんの【負】の気持ちを1番敏感に感じとるのは実は子供じゃないかと思っている。これはきっと本能的なものなので、たとえ赤ん坊だって同じだ。だから、なるべく負の気持ちにならないように、たまには(じゃなくても毎日でもいい)楽もズルもして、毎日の子供の発見をいっしょに楽しめたらいいよね、と思う。じゃないとホント、もったいなさすぎる。
息子のポッケには何が入っていたっけ......としばらく考えた。思い出せない。女の子からもらった折り紙を、くしゃくしゃにして入れてすっかり忘れていたような気もするし、とにかく虫やらカエルやらザリガニやらヘビやら、生き物を捕まえては持って帰ってきた。その印象ばかりで、ポケットの中身のことはほとんど思い出せないのが残念でしかたない。しかたないんだよ。
んでは、子供にとっては瞬間の、親にとってはたぶん永遠の宝物
Preschool Pocket Treasures
Melissa Kasemanさん、インスタでは作品ではなく、日常のスナップ。子供たちの写真も見られます
https://www.instagram.com/lisskaseman/
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ギター1本53年、流しのケンちゃん - デイリーポータルZ
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途中、すごく良いお店があった。
洞窟の中みたいで、なんだかマボロシっぽい。
では長文読んでいただいた方々、ありがとうございました。
Twitterまとめに行きましょう。
2017/12/8
おかあさんと小2くらいの男の子が歩いてるんだけど、男の子が「おんな〜おんな〜おんなおんなおんな〜!」とずっとループして歌を歌っております。おふたりとも、目の前は熟女専門ソープなのをご存じなのかどうか…
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15:37:51
寿司くん、いいよね rt