仕事やらなにやらで、週に1度は六本木ヒルズに出向いているが、初めてその存在を知った日本庭園に行った。よくできてはいる。のだろうが情緒のかけらがどこにも見てとることはできなかった。風情も情緒もいらなーい、そんなのはクソだウンコだと言っている私だが、これはないな、と、余裕のある時間をとりあえず急いでますふうに、あるいは寒くて死にそー早くあったかいとこに行きたーいふうに歩いた。いつもはダラダラ投げ出すようにして歩く重たい足で、ロボットみたいにして素早く通り過ぎたかった。なんだココ、空虚だな、と思った。とてつもなくよくできた学芸会の舞台美術だ。
こんな近代ビルのわずかな隙間に緑の庭園を作る意図はわからなくはない。そりゃあさぞかし作りたかろう。だったらこの場にふさわしいスカしきったガーデンにすればまだいいのに、と思ったが、きっとそれもまた意味がないのもよくわかる。わかるのだ。わかるんだけどダメなの。クソっぽいの。ウンコなの。(あ、こんどうんこustします)
ところで茶緑色のいかにもそれらしい池もあった。「鯉とかカメとかいるのかな」と私は言った。鯉や亀やましてやボウフラでもない、泥酔した若者が、夜中に飛び込んで馬鹿騒ぎするにふさわしい場所だ。草木の茂みではあったが隠しているふうでもなく水道の蛇口とホースがペロンと放り出されていた。小さな滝もどきさえあった。温泉地で昔良くみかけたライオンの口から吹き出すような飛沫がはじけている。マイナスイオン、ナシ!山奥の滝修行はそろそろ見飽きたので、あの辺りで一発どうだろう。けっこうなクールなシーンが撮れるのでは?などとたった今閃いた。息子には、それくらいのことは朝飯前の男になってほしいと思う。
庭もない玄関先に、道路にはみ出すほどの並べられた(やや狂気を感じるほどの)植木鉢を横目で見ながら散歩をするのが私はすきだ。実は全く効果がないとされている、猫よけのペットボトルオンパレードの光景もバカバカしくてすきだ。新設の日本庭園よりも、家には収まりきれないゴミ屋敷を眺めるほうがよほどすきだ。
もしかしたら、私の情緒とは、人の生活臭のする、ちょっとイカれたところにあるのかもしれないな、と初めて気づいた。それとも私の情緒は狂気なのか。
私の偏見は、どんどん凝り固まってきている。狂気もじりじりと近づいている。そもそもトチ狂っているのかもしれない。
あ、あの池に、お賽銭なげておけばよかったなーっと。