さあて、昨日はおいしいお寿司を食べに行きましたが、かといって、特筆すべきことでもなく、また「ああ、10年前のわたしはこんなだったんだなあ……」と思った駄文を見つけましたのでここに転載してお茶をグダグダに濁そうと思います。
あんなじぶんに戻りたいなあ~と思いつつ、つか戻ることってできるんですかね。できるといいですね。できるんじゃないかな~。どっかに頭ぶつければいいのかな。
こちらも「ふし日記」を読んだ方、これから読まれるであろう方々に捧げたいと思います。
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さて今晩は、高級すき焼きを食いにきた訪問者にベッドを占領されてしまっているので、考え事でもしてみようと思いました。こんなふうに思うのは大変珍しいことで、というよりも生まれて初めてだと思いますが、そもそも「考えごと」をわたしはしたことがあるのかということについて考えてみましょう。考え事の定義はgoo辞書によると一応あるようでしたが、時間までは書いていません。なにごとか考えるのがほんの5秒くらいであったとしてもそれは「考え事」と呼べるのでしょうか。だとしたらたくさんあります。
しかし一日中考えていたとか、三週間ずっと悩んだとか平気でクチにする人がいますがあれははたして本当でしょうか。本当かもしれませんがそれは大げさだと思います。その間にも(昼ごはんなに食べよう)とか、(あ、あの女ケツの割れ目見えそう。写真撮ったらキレるかな。でも撮ったら犯罪になるのだろうか)とか、(トイレットペーパーが切れてしまいそうだけど、芯を換えるのめんどうだから、拭くのやめよ、ウンコじゃねーし)とか、そんなとるにたらない事柄について次々に思いついているはずですから、やはり「ずーっと考えていた」という発言は大げさきわまりないと思うのです。あとやっぱり、「考え事」が5分以上のことを指すのであれば、わたしはやっぱり考え事を生まれて一度もしたことがないということが言えます。
そんなわたしが、さて何について考えようかなと即座に思いつくのは、やはり一番ウエイトを占める息子のことになります。この温厚な草食動物が、学校では暴君として「全男子生徒がオン君に手を上げられたことがあるのです」なんて教頭先生から前代未聞報告を受けましても、悩むというよりもむしろ仰天といますか、いくら私のメルヘンな脳内細胞を活性化したとしてもどうにもそんな息子のパフォーマンスを想像することができないのです。昔の人はキツネにつままれたようだとはよく言ったものですが、わたしの場合ですとプリンセス天功につままれたような驚きがありました。この話題は、「憑依」くらいしか考えられませんのでけっきょくのところ考え事をする問題としてはまったくふさわしくないような気がします。それでは何か(ほかに考え事は)。先週末、飲みの席で、「土屋がいきなり奇声を発することについて」何ごとか友人たちが討論していましたが、あまり興味のある話題ではありませんでした。奇声、というのはこれまたかなりの濃度で大げさであり、確かにわたしの会話が一部、フォルテシモであることだけは認めざるをえないでしょう。それがいきなり、トートツにはじまるものですから「奇声」と聞こえることはあるかもしれませんが、いやでもそれではあまりにも人聞きが悪い。中学の合唱コンクールで、さんざん強弱のある腹式呼吸を学んだわたしの腹が、この腹が覚えていることですから、今さらどうこう言われても、どうしようもない。文句があるなら、腹に言え、腹に。
というわけで、本日の考え事の結論は出たようです。
「文句は腹に言え」