わたしは5年前、こんなことを書いていました。
昨日か一昨日、夕飯を食べに行った実家でのこと。食後、わたしはうっすら気分が悪くなっていた。オカン専用のソファを陣取り、のらりくらりしていると、食器をすべて洗い終えたオカンがやってきて、
「あら、お弁当箱洗うの忘れていたわ」
とわたしの弁当箱に手を伸ばした。
「いいよ、私が洗うから」
と言ったのだが、洗濯ババアの異名を持つ、洗い物命のオカンに対して本気で言ったのではない。そもそも彼女は他人(少なくともわたし)に、自分が買ったお弁当箱を洗わせるはずなど決してないのだ。たぶん、わたしは弱っていたのだろう。その後、水滴ひとつ残さず、すべてを完璧に片づけたオカンはやっと腰をかけ、老眼鏡を三本も重ねてかけて、書きかけの原稿にせっせとペンを走らせていた。わたしは本当に弱っていたのだ。つい、
「ママ、いつもありがとうございます!」
と朦朧としながら、それでも小2くらいの精神年齢でもってフザけて言った。忘れてしまったけど、その時オカンは黙っていたように思う。わたしのたわごとが、シカトされるのはいつものことだ。気にもとめなかった。そんなことよりオカンが書き物をはじめると、邪魔をするといきなり発狂することを思い出し、わたしはシャービックも食べずにとっとと退散することにした。
深夜、わたしの家にいきなりオトンがやってきた。聞けば、わたしが自殺するのではないかと家族で話し合い、代表して様子を見に来たという。わけが分からなかった。わたしはそんなに陰湿な表情をかましていたのだろうか。それとも、最近おびやかされているヒール女の霊が憑依しているとでもいうのか、死相が……?
理由を聞いて、わたしは愕然とする。
だって、おかしいだろう、あいつが改まって『ありがとうございます』なんて言うわけないだろう、自殺をするに決まってる、そうでなければそんなセリフを吐くわけがない、という結論だった。オカンは最初、オトンの突飛な発想を相手にしていなかったが、
「そういえば『お弁当箱洗う』なんて言い出して……」
「ほら! やっぱりだ!」
そしてお前が行け、いやH(弟)が戻ったら、いや、あいつは意気地なしだから怖がっていかないはずだ、お前が行け、私やだわ、あんた行きなさいよ! と押し問答になったそうだ。その間、自分たちはなんかズレてるとは微塵も思わなかったのであろうか。
それにしても、わたしはすこぶるおかしかった。オトンが半分怒ったように帰っていったあとも、わたしはひたすらうすら笑いを浮かべていた。心配してくれる家族がいることがありがたいことにはまちがいはないのだが、それにしても、このわたしが、世界中の人が死んでも生き延びたいと宣言しているわたしが、自ら命を断つなど、するはずがない。彼らもわかっているはずだ。にしても、わたしの「感謝の発言」は、あまりにも現実離れしていたのか、思いのほか奇怪に映ったのだろうか。もう二度と、誰にも、決してやさしい言葉などかけません。そう誓うと、さらにまた貪欲に生きる執念がウジ虫のように湧いてきた。