映画の終盤に差しかかったところで、鮮明に記憶に残っているシーンが突如出てきて驚いた。
たまに
「あ、これ観たことあるかも…あるかも…」
と思いながら流すことはあっても、ラスト付近でいきなり
「あーっ観たじゃんこれ!」
となったのは初めてである。
好きな映画を繰り返し観ることは少なくないけれど、伏線を見つけたり、俳優の細かな仕草に目をやったり、ほかに深い意味を見出すのが楽しいのであって、これではあまりにも無意味ではないか。なんなんだ、記憶、って思った。
こちとらヒマなわけではないのである。
そのシーンから先は、自分の不甲斐なさでボーゼンとしてしまいさらに記憶が曖昧になりそうだ。
また観たらどうしよう。
けれども今回、もうひとつ記憶に残るであろうシーンがあったのがせめてもの救いだ。
妻がくだらない世間話を夢中でしている途中で、高齢の夫がさりげなくイヤホンのボリュームを上げるか下げるか(難聴?)して、しれっと彼女の声を遮るのである。あの表情がよかった。
とはいえ終盤どころかこのシーンの次はエンドロールである。
完全なるラスト。
もしまた次回観ちゃったとしたら、生粋のラストまで思い出させないつもりか。そういうサブリミナルの真逆をいく罠を仕掛けた映画なのかコレは。
悔しいので、以前読んだ好きな本を引っ張り出して読み始めた。
自分の意思でもって再読することで、先の屈辱を晴らすのだ。
マンモグラフィーより激しく、胸が押しつぶされそうになる小説。
内容はまったくちがうけど、スパイクジョーンズ監督の「かいじゅうたちのいるところ」にグッときちゃった方なら読んで損はないと思う。