5月某日 渓谷は警告
「あーー滝に打たれたい」などという呟きがどうねじ曲がったのか、「滝を見に行く会」に行った。スタジオ
蔵の青木さんや同級生の方々に連れて行ってもらったのだが、さらに度肝を抜く「滝を横目で眺めつつ渓谷を登る会」だった。
同じ看板に『頭上に注意・足元に注意』などと「どっちにすりゃいーんだぁーーー」と叫びたくなるような危険極まりない山道に、ジブリの森のような光景やこの世のものとは思えないような滝がなかったら、私はとっとと地べたに座り込んで「ここで待ってるー」と言い張っていただろう。
疲労困憊でもキメ顔は欠かしませんから
それでもつり橋を揺らして他人をビビらせたり、穏やかにお弁当を広げ談笑しているおばちゃんたちの前でいきなりヤッホーと奇声を発することは細胞的に避けられなかった。
温泉もお風呂もきらいなくせして、富士山の見える露天温泉に行って、あたりまえだがすっぱだかでワーイとよろこび、男風呂まで覗こうとし、さらに信じられないことには、帰宅後もバスタブにお湯を張った。これでどれほど私の脳が疲弊していたか、長年の読者ならおわかりの事と思う。
要するに、渓谷は心身ともに充分な警告が必要ということを学んだわけだが、今度はエメラルドグリーンの滝を見に行こうという話になっていて、聞いてみりゃもっと傾斜が厳しいらしいがそれを断るような私ではない。むしろ行く。
西沢渓谷 flickr.com
5月某日 オンのための会にてオン路上にて爆睡
北村ヂンくんが、ありがたすぎることにあの
カオス日本家屋で「うちにオンを居候させてもいいっすよ」と言ってくれたのを私は決して忘れずにずっとずっと覚えていて、オンをヂンくんちへ連れて行く機会を狙いに狙っていた。
ついにその時が来た。面談のようになってはまずかろうと、数人の友人を招集。(
謝謝!)
肝心のオンはまったくうだつがあがらず、自分ちと同じように何度も無言でふらりと外に出て30分くらい帰ってこなかったり、相変わらずのフヌケだった。
みなさんにお集まりいただいたのはいいが、
玉置さんが自作のチェッロを、せこくも小さな小瓶で持ってきて、あまりにも旨かったので誰にも取られたくなくて最初から一気に飲んでしまったために、私はまたいきなり隣室で寝入ってしまった。
どこでも人気のマリオさん
起きたのはどれくらい経ってからだろう、小さな子どもの手が私の背中を静かにゆっくりと撫でている感触で(ああ、大北高瀬家の噴射か、玉置家の網元の手だな・・・)としあわせな夢心地でいたら、
ほそいあやだった。気味が悪かった。
ほとんどの皆は帰るところだったが、私はやはり寝ぼけていたのでしばらく居たような気がする。さらにヂンくんのももクロダンスも見逃してしまったようで悔しい。でもヂン君も起きだして「俺ならこんな両親だったら殺すーーー!」と何度も言われたのをしっかりと覚えております!
オンも「じゃ、ども」と言って先に帰っていったようだが、玉置さんが民営の駐車場から車を出すとき、そこに横たわって寝ているオンを発見したそうだ。以前、遊歩道で寝てしまった私を知っている奥さんが「やっぱり血は争えない・・・」と痛感したと言っていた。
ご息女網元たんが
「起きてーこんなところで寝ちゃだめーー!」
って起こしてくれたそうだ。命の恩人・・・
うぎゃーーーーー!許嫁になってーーーーー!
五月某日 この雨、痛くない
いぬんこさんの展示の時にホレたので、
福山みきさんたちの展示に行ってきたんだがあのテキスタイルはホント見事にぜんぶ好みだなあ。なんでかなー?と思ったらわかったぞ!
ほとんど生きものだからだ!
そのあと、最近映画館に入るとすぐ寝てしまう自分への荒療治として、なんか洞窟の映画と、花火の映画を連続で鑑賞する修行をしてみたが、さっそく洞窟では予告編から寝てしまった。それでもめげずに花火っぽい映画を観に行ったら、これはかろうじて起きていた。というより、寝そうになると目が覚める訳のわからないとんでもシーンや台詞がでてくるので、やはり大林監督のなせる「寝かせない技」なのかもしれないし「
この雨、痛いな!」のおかげかもしれない。タイトルは忘れた。とゆーかもう「この雨、痛いな!」でいいと思う。
5月某日 友人の家族の不幸が続く。
友人の家族の不幸が続く。
故人は古くから知る、オカンと同じ年だ。
告別式の受付をやった。あまりにも近しき友人と家族だというのに、私はそれほど泣くことはなかった。
どうにも不思議に思っていたら、友人から
「アソビが泣くと、Mがもう大変なことになるからでしょー」
と言われてハッとした。
彼女とは同じ部で、私は部長だった。試合前後でも泣き、好きな人の写真がロバみたいだとけなしただけで泣き、振られては泣き、人のことを心配しては泣く彼女に対し
「泣くのはバカのすること。泣くなバカ」
といつも叱咤していた。(激励はしていない)そんな私が彼女の前で号泣できるはずがない。たしかにそうだ。私は当日、通夜、告別式としっかりと立って号泣はしなかった。亡くなった日の深夜にきた「久しぶりに家族で川の字になって寝ています」のメール、あれだけに激しくうろたえ嗚咽しただけだった。
「泣くなバカ」とは言わなかったが培った細胞の恐ろしさを思い知る。
それでもまだ私は、オトンやオカン、生死をさまよった弟の「死」さえも想像できないでいる。想像力の欠如と言えばそれまでだが、もしかしたら死んでもなお、信じられなくて葬儀にも出ずにどこか遠くの国へふらふらと行ってしまう可能性もある。そういうことを平気でしそうな自分もまた恐ろしい。友だちはそれをとめてくれるのだろうか。それとも「らしーねえ」といって、笑うのだろうか。それもまた、どっちでもいいしどっちも友だちなんだろうなって思った。
なんだこれ。
友情とかいうのがもしこの世に本当にあるのか。私にはよくわからない。でも確実に言えることは、あるとしたら、数字じゃない、ということだな、と思う。
知り合った年数でも、笑ったり怒ったり会話した回数でもない。物差しも測りもいらない。
友だちがなんたるか、私は去年まで考えたことなどただの一度もなかった。
そんなものはいてもいなくても私がこうして息絶え絶えに生きて行くことになんの関係もないと思っていたし、友だちが欲しいと思ったことなどない。
でも、そうでもないのかもしれないなって最近ちょっとだけ思ったりする時もある。オカンの乳を飲み、野菜や肉や魚を食べて血となり肉になってきたけれど、もしかしたら関わった友人たちの肉なんかもムシャムシャと食べて育ったのかもしれないと思うようになった。
え。これ、あんたたちの血肉?この腹の贅肉がぜんぶそれ?やーだーーーーー
何これ、と高瀬克子がコレ呼ばわりした私のおなか
マジなんなの。異星人?
ちなみに眼光鋭すぎる野生児はご息女噴射ちゃん。
この噴射ちゃん、私の膝に乗ったのはまさに奇跡。
いつもは名前さえ呼んでくれませんし、「アソビちゃんどーれ?」と言っても大々的にシカトするんです。でもツンデレすぎて、私がいない間に私の替え歌まで作っています!
本当です!本当なんです!