物心ついた小学校のころ、
「いいなあアソビは。私なんて勉強ができるだけだもん」
と言われたことがあります。
うらやましがられたのだとばかり思ってましたが、よ~く考えてみたところ、ただの自慢だと言うことがいまさら判明しました。
見よ、この、自信みなぎる堂々たる面構えを。
また、物心と下心がいっぺんについた18才の春、
「なんでそんなに自信満々なんだろうねえ」
と言われたこともあります。
美人三姉妹の末っ子、キョーコちゃんの素朴な疑問です。
彼女の大ねえちゃんは京大を出てなぜかCAをやっていましたし、チーねえちゃんはお茶の水女子大在学中、イギリスの大学に留学をしていました。さらに2人ともミスなんとかに選ばれ、プロダクションからのスカウトの電話がひっきりなしにかかってくる。そんな2人を姉に持つ彼女がワタクシと同じ高校に入学してしまったのですから、お気の毒としかいえません。
なにしろ1人でお留守番中、ホットケーキを初めて作ろうと思いたったバカキョーコ。箱のうらに書かれた『ホットケーキのもと』の成分(ブドウ糖とか)全てをスーパーで買おうとして「材料が足りない」と半べそかいて電話をかけてきたくらいですから、 自らを卑下してしまうのもうなずけます。
最終的には『ダッチワイフの顏マネをさせたら右に出るものはいない』と、わたしを唸らせたのですが、これも彼女のコンプレックスを克服するにはいたりませんでした。
そんな彼女がわたしをとっつかまえて
「どこからその自信が湧いてくるのか」
とフシギに思うのはトーゼンです。
そりゃそうでしょう。何をやっても中途半端なわたし。取り柄という取り柄はひとつたりともありません。
しかし、わたしのスゴイところは何をやっても中途ハンパ、これを貫き通している点です。ハンパじゃありません。これはそんじょそこらの人間にはちょっとやそっとじゃマネできないでしょう。
しかもわたしは悪態をつかれるのには慣れています。これでもか、これでもかと辛辣なコトバを投げかけられても屁でもありません。
たとえば「ブスブスブスブス」と百万回言われてもココロはビクともしないのですが、一度でも「カワイイね」と言われれば、
「そうか私はカワイイのか。やっぱりそうだったのかっ! やっぱりかあっ!」
と、それ以前、そしてその後の「ブス」はただのヒガミか愛情のウラ返しとしかとりません。
このように、わたしは自分の欠点をもムリヤリにプラスにする技を習得しているのです。もちろん敵も大量に取得しています。
さて、わたしはなぜこんな異常性格者になってしまったのでしょうか。
本当の本当に自信家かというと実はそうでもなかったりします。
しかし、人をうらやむことを日課とし、
「わたしなんてわたしなんて」
が口癖の『わたしなんて』さんがチラリとのぞかせるちょっとした『自信』ほど背筋がゾッとするものはないと思うのです。ヤラシイ人間は大好きですが、いやらしい人間はキライです。
わたしのように随時100コとは言わなくても、誰だってヒトツくらい自慢できることがあるでしょう。ハッタリかまして生きることはなかなかタイヘンとされていますがそうでもありません。ヘンタイよりマシです。あっ、でもヘンタイもたまにスキです。
……と、いう時間を長い間過ごしてきましたが、つい先日魔法が解けたように我にかえりました。
オカンはミス大阪とかなってるクセして自分の顔が大キライで、わたしに「かわいいかわいい。ママ、アソビの顔大好き」と言い続けて育ててきたものだから、鵜呑みにして生きてきましたが、この歳にしてようやく現実というものが見えてきたのです。
自分の選択というものがすべて正しいとさえ思ってきて、それが確固たる自信に繋がっていたわけですが、長年の読者ならご存知の通り、それもつい数年前にものの見事にひっくり返りました。
とはいえ勘違いであれ、長期にわたりみなぎる自信とともに生きてこられたことはわたしにとっては幸いでした。
そしてこともあろうか、またあの、大いなる勘ちがいを取り戻しつつある自分もまたここにいるわけで。どうしましょう。四捨五入100才になるというのに。
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